集会案内

【日曜日】
日曜日の礼拝 毎週 午前10時20分~11時15分
子どもの教会  毎週 午前10時20分~11時15分

● 同時刻に子どもの教会があります。
● 小さなお子様をお連れの方も、お気軽にご参加ください。
● 礼拝後お茶の会があります。お時間のある方はどうぞ。

【水曜日】
聖書と祈りの会 毎週 午前10時20分~11時30分
晩の祈りの会  (休止中)

【金曜日】牧師面談日 毎週金曜日 午後(希望時間を事前にご連絡ください)
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2025年1月1日水曜日

元旦に「お金を送金してほしい」と電話をくださった方へ

 ブログ更新が滞っておりました、

元旦の集い(祈り会)の後の愛餐会にて「2025年の

目標は教会ブログを月一回以上更新することです」

と宣言したので、今年こそ頑張ります(*^▽^*)


元旦の集いの後の愛餐会の片づけをしていた時、

教会に電話がかかってきました。

「食べる物がない、お金を送ってほしい」という

内容でした。


クリスチャンではない、名前・住所は言いたくない。

教会には通っていない。

「この教会では炊き出しをしていません。お金の

援助をしていません。なのに、なぜ連絡を??」と

聞いたら、「インターネットで教会を検索した」と

のことでした。


「来れますか?」と聞くと、来れない距離という。


「家から徒歩圏内の教会に直接行って相談したら

どうでしょうか?」と聞くと、近隣の教会、お寺

NPO法人はすでに頼ったが断られてしまったとの

こと。頼れる家族、友人もいない。孤独である。

フードバンクでも嫌な思いをしたことがある。

「継続的な支援は望まない、今だけお金が欲しい」

という。

大変なのかもしれない。わたしは教会の皆さんと

美味しいご飯をいただいて楽しい時間を過ごした

後だったので、苦しいお金がないという話を聞き

心苦しくなりました。

悩みましたが、でも、名前も知らない相手にすぐ

お金を送ることはできませんとお伝えしました。

「なにもしてくれないのか!」「困っている人間を

見捨てるのか!面倒くさがって切り捨てるのか!」

大声で言われ、電話を切られてしまいました。


今も「本当に困っていたら、ひとりぼっちだったら」

「わたしは毎日食べることができる。少しでもお金

を送る??いや、でも、それは・・・」という思いが

ぐるぐる回っています。NPO法人や炊き出し情報なら

共有できるかもしれないけれど、つながりのある団体

に献金を送ることはあるけど、知らない個人にお金を

送るのは違う気がしています。


他の教会や牧師先生はどうしているのだろう??

良かったら教えてほしいです。

キリスト新聞HPにも同じ悩みがありました


もう電話がかかってこないかもしれないけれど。

もし、元旦に電話をくださった方が見てくれるなら

と思い、メッセージを書き込んでおきます。


・・・

1/1 13時ごろ、教会に電話をくださった方へ

今も、どうすればいいのか、悩んでいます。

でも、やっぱり名前も住所も知らない相手へ、

牧師個人として、あなたに送金は出来ません。

でも、色々な教会、お寺、NPO法人、フード

バンクに連絡をして、裏切られたように感じる

体験をしていて、傷ついていらっしゃることは

伝わってきたので、心配しています。人と関わる

と傷つくので、人と関わらずにお金だけ欲しいと

いう気持ちになったのかもしれません。


お金は送れませんが、お話を聞くことはできます。

近隣のフードバンクやNPO法人で嫌な思いを

した時の話を聞いて、どうしたらいいのだろうと

一緒に考えることは出来ます。もう一度、近くの

フードバンクに行ってみようかなと言う気持ちに

なるかもしれません。



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日本キリスト教団はりま平安教会
牧師 松本あずさ

〒675-0038
兵庫県加古川市加古川町木村112-2
電 話:079-426-8863(FAX兼用)
メール:harimaheian1982(あっとまーく)bb.banban.jp

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2024年7月13日土曜日

聖書の「脇役」ねぇ……

   【牧師が日常で考えた、聖書やキリスト教の話です】

「美少女戦士セーラームーン」の話をします。


約10年前のテレビドラマのワンシーンで「幼稚園の時に

女の子たちと『セーラームーンごっこ』をすると私は

主人公のセーラームーン役なんか絶対選べなかった。

最後に余った、緑色がテーマカラーのセーラージュピター

役しかできなかった」というセリフがありました。大人に

なった今も、セーラームーン役を一番に選んでいたような

自信にあふれた女子に勝てない。自分は緑色しか選べない

人間、社会の脇役でしかない、という趣旨のことを話して

いました。


このテレビドラマはセーラームーン世代の視聴者が多かった

ようで「気持ち、わかる!」とか「セーラージュピター

は私の周りでは人気キャラだった」とか「女の子同士で、

誰が●●役にふさわしいか配役を考えていたから自分から

立候補する子は自信家しかいなかった」などドラマの感想

とともにセーラームーンの思い出話がいくつもSNSに書き

込まれていました。


ちなみに、私の感想は「けっ、甘いわ!」です(^^♪

セーラージュピター役ができるなんて、最高じゃない!

セーラー戦士たちと一緒に戦えるんでしょ?自分だけの、

必殺技があるんでしょ?可愛く変身できるんでしょ?

羨ましいわ!

と、テレビに向かって毒づいていました((+_+))


わたしはセーラームーンごっこで「大阪なる」ちゃん役

でした。主人公と同じ中学校に通う同級生です。彼女は

セーラー戦士ではないので、変身もしないし戦いません

セーラームーンごっこが日常編なら仲間に入れてもらえ

ますが、「敵が出たわ!」と、ルナやアルテミス役の子

(主人公たちをサポートする猫です)が叫ぶと、みんなは

変身して別の場所に走っていき、「大阪なる」ちゃんは、

その場で待っているしかありませんでした。



後から登場した「ちびうさ」という役の子と一緒に、

日常パートを演じながら、どこかで戦っているであろう

セーラー戦士役の子たちを待っていました。「ちびうさ」

も実はセーラー戦士に変身できるという設定がアニメで

放送されると、ちびうさ役の子もセーラー戦士たちと敵

をたおしにいくので、わたしは一人で「大阪なるちゃん」

役をこなし、みんなが敵を倒して戻ってきた時すぐに日常

生活をすごせるように校庭の場所を確保していました。


敵との戦いが白熱しているのか、なかなか戻らない時は、

大阪なるちゃん役を継続しながら、一人「魔法陣グルグル」

ごっこをしていました(同時期に放送したアニメです。

ヒロインの女の子が持っている魔法の杖に見立てて長い木

の棒をもってウロウロし地面に魔法陣を書いていました)


わたしは、ひねくれた性格なので「セーラームーンと

一緒にたたかえた、セーラージュピター役をしていた

くせに、『私は社会の脇役……』なんて甘いわ!こっち

からしたら、セーラージュピター羨ましくて、欲しくて

たまらなかったわ!」とツッコミたくなります。


・・・・


なんでこんなことを長々書いたかと言うと「聖書の脇役」

という言葉や、そんなタイトルのキリスト教書籍を目に

して、あのころと同じ気持ちになったからです。


「私はセーラージュピター役『しか』できない脇役…」

みたいに「聖書の脇役にスポットを当てましょう♪」と

言いながら登場する人物は、超有名人です。

「クリスマス場面に登場する羊飼い」とか、

「エウティコ(パウロに直接癒してもらった人物)」、

「ヨナ(旧約聖書・ヨナ書の主人公)」とか、

「エゼキエル(旧約聖書に登場する大預言者)」とか、

「アリマタヤのヨセフ(イエス様を埋葬した人物)」、

「エリサベト(洗礼者ヨハネの母)」など……。


いや、まっっっつたく脇役ではありませんから!!

礼拝の聖書朗読でも話がでてくる人たちですから!!

聖書にエピソードトークがのっている人たちですから!

この人たちが脇役なんて言われたら、「けっ甘いわ!」

って怒るだろう聖書の人物なんかいくらでもいますよ!

と、ツッコミたくなります。


聖書に数行だけ出てくる人間なんていくらでもいます。

聖書で最も名前が可愛いと思う、「ラブ・シャケ」。

彼は列王記下とイザヤ書に名前が出てきます。


「モーテン(盲点)のトラさん」と密かに読んでいる、

トラという名前の士師。


「大人のトイ・ストーリー」と題して学生時代に神学部

のチャペル・アワーとりあげようとして、話題が少なく

苦戦したハマトの王トイ(サムエル記下に2節だけ登場)。


度重なる戦争や疫病の影響でいのちをおとした人たち。

(「疫病で7万人がたおれた」歴代誌上21:14など)。

バビロン捕囚で連行された/帰還した名前のない人々。


ルツ記に登場する、ルツのご近所さんたちも良い仕事を

しています。ルツは神様だけに守られ支えられていた

わけじゃないよな、思いのある人たちが常にそばにいて

助けているな―ということにも気づきます。


礼拝説教で使えない??いえいえ、むしろ、深く探ろう

としたら聖書を更に学ぶことができるはず。


わたしはアブラハムにも、モーセ、ダビデにも憧れません。

そんな人間になれるとも、なりたいとも思えないからです


でも、アブラハムの子を妊娠させられた上に女主人からの

マハタラで苦しみ逃亡したハガルと神様のやり取りには

慰められる思いがします。


モーセとともにエジプトを脱出した60万人以上の群衆の

行動の方が「気持ちわかるなぁ」と思うことも多いです。


いま礼拝で「ダビデの妻たちの視点から見る戦争のプロ・

ダビデ王」というテーマで聖書を読んでいます。小さい

時から絵本で読んで育ってきた聖書の話が、新鮮に問題

意識をもって受け止めることができています。


もちろん、イエス様や神様の言葉を人々に伝えた預言者

たち有名人が嫌なわけではありません。「脇役」と表現

するなら、もう少し隅っこの方まで見てほしいなーと、

気づいてほしくて手を振っているような感覚です。

そのうち、こっそりブログで紹介できればいいなーと

思います。


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日本キリスト教団はりま平安教会
牧師 松本あずさ

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2024年5月31日金曜日

【マタイ19:13~15】おばちゃん、アーメン

【2023年6月11日花の日子どもの日礼拝メッセージより抜粋。世界公開なので、冒頭部分は、礼拝で具体的に話した内容を一部ぼかしております】

先日、とあるボランティアに参加しました。

平日で参加者は20名弱、子どもは6歳の女の子が一人、

お母さんと参加していました。

単純な作業に飽きたのか、女の子はお母さんのそばを離れ

他の参加者の周りを歩き回り、会話に勝手に加わったり、

大声を出したり、大きな声で自分のことを話し始めました。

参加者たちも最初は相手をしていたましたが徐々に彼女を

無視して会話をしたり、女の子から離れました。

彼女は気にせず参加者の間を歩き回っていました。

お母さんが何度も連れ戻しても彼女はすぐ走り出します。

わたしの横にも座りました。

女の子は大きな声で、お父さんの職場のこと、家の場所や

家族の会話など非常に個人的な内容をポンポン大声で

しゃべります。近くで聴く母親を交互に見ながら、つい

「あっちの方が面白そうだよ?」等と女の子の関心を

そらそうとしていました。

唯一、女の子を無視しなかったのは連れ合いだけでした

(どう対応したらいいのか内心オロオロしていたそう)

女の子はほとんどの時間を連れ合いの横で過ごしました。

マタイによる福音書19章には子どもが登場します。

イエス様に触れていただくために人々が子どもたちを

連れて来ました。

偉い先生に触れてもらえたらその子は幸せになれる。

そう思って連れて来ました。

これを見て弟子達は彼らを叱りました。

この話を読み「弟子たちは心が冷たい」と思いますか?

しかし、わたしは弟子の気持ちが少し理解できます。

直前で、イエス様はファリサイ派の人々と対決します

(19:1~12)。

イエス様の言葉尻をとらえ揚げ足取りをしようとする人々

が難問をつきつけます。緊迫の現場です。

「そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために

人々が子供たちを連れてきた」のです(19:13)。

あの女の子が何人も飛び込んできて場が混乱したら、

弟子たちのように「ちょっと!」と保護者に文句を言い

たくなるかもしれません。

ところがイエス様はそんな弟子達を見て

「子供たちを私のところに来させなさい。

妨げてはならない」と言いました。

手を置いて祝福されました。

イエス様は子どもたちを呼び寄せ「天の国はこのような者

たちのものだ」と言いました。

弟子たちが追い出そうとした子どもたちをイエス様は

喜んで受け入れます。

祝福とは子どもたちの存在と価値を認め、

神様の限りない恵みがあるように祈ることです。

イエス様は一人の子どもを呼び寄せ、

弟子たちの真ん中に立たせ

「心を入れ替えて子供のようにならなければ決して

天の国に入ることはできない」

「わたしの名のためにこのような一人の子どもを

受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」

と教えます(マタイ18:1~5)。 

聖書の時代、神様の掟、律法を学んでいない子どもは

神の国には入れない(救われない)と考えられていました。

だから、子どもをしっかり教育しなければならない。

ユダヤ教では子どもの教育に力を入れます。

教育はもちろん大事です。

しかし、イエス様は「神の国はこのような者」、

子どもたちのものだということです。

子どもは既にそのまま神様によって受け入れられ、

祝福されている。イエス様は大人達に視点の転換、

常識の変更を迫ります。

視点を変えなさい。

大人たちの身勝手で妨げたり、存在を否定するな。

イエス様の語る「子ども」は、天の国に入れる存在という

のだから打算的ではない、可愛く、純粋で、素直な存在を

想像するかもしれません。しかし、イエス様が真ん中に

立たせたこの子は、大人の言うことを従順に守る子では

なかったと思います。

子どもは大人の会話の邪魔をし、静かにじっとしなさいと

家族に言われても走り回り、大人がギョッとするような

質問や言葉を発します。子どもは一人前と認められない

存在です。

大人に教えられ、大人から命令される存在です。


18:6では「わたしを信じるこれらの小さな者の一人」

と呼ばれる人たちがいます。議論の場から締め出された

子どもたちです。「小さな者を受け入れなさい」という

「わたしたちが小さくしている人」とは、わたしたちが

親切にしたくない相手です。

「あの人はつまらない人」とわたしたちが判断する相手。

「あんな風だから/無視されて当然」と言い訳し、

「わたしが受け入れない、認めたくないっていう気持ちは

当然よ」と思ってしまう。そうなっていませんか?

というイエス様のこの態度は、

子どもたちを教える(命令する)対象とみるのではなく、

愛し、敬意を払う対象だと訴える行動です。


この話を読んだ皆さんの中には

「教会はそんなことしない。小さな子どもたちを

受け入れます/子どもたちが教会に来たら嬉しい。

子どもたちを拒絶するなどあり得ない」

と思う人もいるかもしれません。


「わたしの子も、知り合いの子も、教会で居場所がなく

過ごしたことがあります」と語る母親の本を読みました。

彼女はイギリスのキリスト教グループの一つ、

英国バプテスト同盟の理事会メンバーであり教会で指導的

立場に立つ信徒です。彼女の息子はダウン症です。

また「CHAD委員会 (障碍に対する教会の取り組み 

Church Action on Disabilityについての委員会」でも

働いています。

著書『知的障碍者と教会』には、ダウン症の息子を中心に

多くの子どもたち、その家族の話があります

(フェイス・バウアーズ著 片山寛、加藤英治訳

知的障碍者と教会 驚きを与える友人たち

いのちのことば社、2017)

牧師や教会メンバーから悪意はないと分かっていても 

傷ついたり疑問に思ったり、主張するべきだと感じた

出来事がたくさん書かれています。


バウアースは、人によっては賛成しないかも、

と前置きしつつあえて知的障碍という言葉を使います。

ダウン症、と紹介すると、一人ひとりを見る代わりに

安易に型にあてはめたり先入観を持つ。ダウン症だから、

人懐っこくて、音楽が好きで、穏やかなんでしょ?と。

でも、人によって違う。その話がしたいわけじゃない。

また、受け入れやすい言葉に言い換えても、その言葉が

問題の多い意味を持つことがある。

知能の働きが弱いことを専門的に表現する言葉は、

より一般的で侮辱的な意味を持つようになる傾向がある。

それよりは、だれでも理解できる、明確で率直で、特に

悪意を含むような内容のない知的障碍という表現を使う

としています。

わたしも、この本を紹介する際、著者の思いに従います。



わたしも同じように無意識に傷つけているかもしれない、

同じ言動をとりかねない話が多いです。

誰かを責める目的ではなく自戒の意味を込めて、

わたしの意識をアップデートさせるために、ここで共有

させてください。


フェイスさんは障碍者を聖なる存在にしないでほしいと

訴えます。

「知的障碍を持つ人たちは『聖く(きよく)、

罪を知らない』という慰めは、ひんぱんに、そして

とても親切に、良心に語られます。多くの両親は、

それを心乱す言葉として受け止めます。私たちは自分の

子どもに罪を犯してほしいとは願いません。しかし『罪を

犯すことができない』というのは、なにか『人間では

ない』と言われているような気がするのです」

(同上、p.111引用)


「あっちに行け、教会に来るな」と直接言うだけが否定

ではない。むしろ、聖書やイエス様や十字架を持ち出し

「あなたの子どもは、神様の栄光をあらわすために障害を

持っている」と、レッテルを貼り説明する態度は、

等身大の知的障碍者をあるがままで人間として受け入れ

ようとしていないということ。わたしたちの子どもは、

苦難を負った悲劇的な人間ではないし、

決して成長しないピーターパンではない。

大人と認めてほしい、と。


著者は「あなたの子は礼拝に参加しても理解できない」

という反応に対し「かれらがどれほど理解しているかは

難しい問題ですが、特別大きな問題ではない。礼拝は頭

だけの問題ではないから。感情、感覚、直感すべてが

神様を礼拝することに関わっている。 それに、

かれらは雰囲気を敏感に感じ取ることができる、

自分が今ここで受け入れられているかどうかは感覚的に

わかる」と答えています。



知的障碍を持つ成人のための特別な聖書クラスでの話。

ジョンという名前の参加者は「おばちゃん、アーメン」

と祈りました。ふざけているのではありません。

この会に参加している人たちは、ジョンが何を祈ろうと

しているか理解できました。この一言は、彼の世話を

してくれる女性について神様への感謝をささげ、

彼女への祝福を神様に祈っているのです(同上、p.122)。


「わたしたちの教会では受け入れ態勢が取れない。

これは別の世界の話だ」と感じるかもしれません。

彼女はこんなアドバイスをしています。

「心配しないで。

この人たちは、愛情のための大きな余地を持っています。

何ができるか、かれらが何に興味を持っているかを

見つけなさい。かれらのために祈りなさい。

何であれ、あなたがすることを一度限りにするの

ではなく、継続的関心を確立しようと努めなさい」

(同上、p.125)


わたしたちもこの思いにつながることができますように。


・・・

礼拝後、オンライン出席者から

「わたしの子どもは〇〇という重度の障害をもって

います。でも、オンライン礼拝に参加している時、

お祈りで『アーメン』と聞くとパチンと手をたたきます。

彼女らしく礼拝に参加しています」

とコメントがありました。

本当に嬉しかった!

・・・


写真は教会メンバー撮影。

「ブログに使ってください」と寄せてくださいます。

感謝(*^▽^*)

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2024年4月8日月曜日

【YWCA】4/20 パレスチナとキリスト教

皆さんこんにちは。

神戸YWCAから集会案内が届きました。

神戸YWCAのHPはこちら)。




教会でも掲示しました。ぜひ共有できればと思います。

わたしは播州地区教育部の集会が先に決まっていたので、

参加できません。残念。

昨年の地区2.11集会(信教と思想の自由をまもる集会)

で村山忠盛さんからお話を聞くことができました。

「どうせ宗教問題でしょ」「わたしたちに関係ない」、

「パレスチナ問題は難しい」など言い訳して無視して

しまうことは簡単だと思います。

聖書の舞台はパレスチナです。クリスチャンこそ、

いまのパレスチナの状況、ガザ地区で生きる人たちの

ことを知らないといけないと思っています。


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2024年2月21日水曜日

【コラム】イースター何がめでたい?

 

イースター礼拝は、クリスマス以上に喜びの多い

教会行事です。

「キリストの復活祭?信者限定の行事でしょ?」と思う

かもしれません。

イースターは全ての人に関係する喜びの知らせです。

「イエス様が復活した!」という出来事を通して私たち

が感じとり、あらためて確認することは色々あります。

「(気落ちしている皆さん)たちあがろうよ!」、

「イエス様の思い、神様の思いは無意味じゃない!」

ということを礼拝で話すことが多いです。


・・・


海外のイースターのイラストを検索すると

「He is risen(彼、キリストはよみがえった)」という言葉が

書かれていることがあります。


(たとえば、こういう画像)

元々「risen」には復活の意味はありません。

rise(立ち上がる)の過去分詞形です。

希望が見えず疲れ果てて、倒れこんでしまった人が、

もう一度「立ち上がる」力を得て、起き上がることが

できるよ!という意味がイースターにはあります。


・・・

無意味なものはこの世にはない、He is risen!

(彼・イエス様は立ち上がった/よみがえった)という

メッセージは、すべての人に告げられるべき希望です。


「一人のいのちなんて、どうでもいい。自分の仕事が

うまくいけばそれで良い」というローマ総督ポンテオ・

ピラトのもとに苦しみを受けた。


十字架刑執行に喝采せよ、ローマ帝国のやり方に喜び

歓声を上げる反応をしなければ処刑すると脅され、

配慮をもとめられる群衆はこぞってイエス様の死刑を

要求した。

上から押さえつけられるような圧力に耐えられなかった。


イエス様は「神様、どうして!」と叫びいのちを落した。


男の弟子たちは逃げ出し、女の弟子たちは遠くから

見つめることしかできなかった。

イエス様が示す愛に感動し、つながりたいと願ったが、

息切れしてしまった……。


しかし、神様はイエス様を復活させた。

「イエス様がいのちがけで取り組んだ愛の行動、教え、

すべては無意味、何の価値もない!」と見せつけられ

絶望した人たちに、もう一度立ち上がる力を与えた。


これは、喜びのメッセージです。


女性の弟子たちは

「He is risen!無意味なものはこの世にはない!」という

良い知らせを伝えるため、走り出しました。


・・・

「初めて教会に行ってみようかな」という方には、

イースター礼拝、クリスマス礼拝にいってみるのを

オススメします。最初は何を言っているのか全てを

理解できなくても、「やっぱり愛だよね!」という、

パワーにあふれているはずなので、少しでも元気を

もらえるかもしれません(*^▽^*)

讃美歌も明るい曲が多いです。



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2024年2月18日日曜日

【詩編139編】前も後ろも守る神様

【2/18(日)礼拝メッセージより


(信徒さんの庭にあるシュロをわけていただきました)

・・・


詩編139編には、こんな神様のイメージがあります。

「前からも後ろからもわたしを囲み/

 御手をわたしの上に置いていてくださる(詩編139:5)

「神様は、前から後ろからもわたしを囲んでいる」、

みなさんはどんな光景を想像するでしょうか。


わたしは、家にいる猫の姿を思い浮かべます。

寒い夜、猫が布団の中にもぐりこんでくる時があります。

ふかふか冬布団に入り人間の身体にくっついて眠ります。

頭から尻尾まで人間の身体につつまれ、安心しています。

(↑ある日の写真。連れ合いに投稿OKもらってます)

ゴロゴロとのどをならしながら眠る猫たちの姿を見て、

前から後ろから神様に囲まれ、つつまれている感覚とは

こういったイメージではないか」と、思いました。

皆さんは「前からも後ろからも神様に囲まれている」と

言われて、どのような自分の姿を想像するでしょうか。


・・・

また、詩編139編には、こんな神様の姿があります。

・わたしの心の奥底までご存じの神様。

・わたしの立ち振る舞いさえご存じ。

・わたし進む道に通じている神様。

・わたしが言わなくても気持ちを理解してくれる神様。


皆さんはどう思いますか?

わたしは怖いと感じていました。

ちいさい頃は、ささいな隠し事がたくさんありました。

(悪い点数だったので隠したテスト用紙…

こっそり筆箱で飼育したヤモリ…

妹にいじわるをして泣かせてしまったこと…

友達とケンカしたこと…

学習塾をこっそりさぼったこと…等)


「全てを神様に見透かされている」なんて恐ろしい。

「前も後ろも囲まれる?!逃げ場のない状態で、自分の

悪事を問い詰められるの?それの何が嬉しいのだろう」

と不思議でした。


現在、「前も後ろも、あなたをかこんでいる」と聞いて

連想するのは見守りカメラです。

はりま平安教会がある加古川市のホームページをみると、

市内には17475台の見守りカメラ、150台の高性能カメラが

設置されているそうです。

「犯罪防止のため、設置前よりも犯罪件数が4割減少した」

という。でも、監視カメラでしょう?

ずっとカメラで監視されているという事でしょう?

安心だね、嬉しいね、という気持ちにはなれません。


ただ、本を読んでいて「人間は心が疲れ切っている時、人に相談

する力すら残っていないことがある」と知りました。

人に相談する気力も残っていない時、

理解されず的外れな助言を受け止める余裕もない時、

言わなくても気持ちを理解してくれる存在を意識できると

何かが変わるのではないか。

祈りを知る人、神様を信じている人は話せる場所がある。


・・・


もうひとつ、「常に見られていたという幸せ」について、

イメージが近いと感じたものがありました。

皆さんは、近いと感じるでしょうか。

それは、東野圭吾さんの長編小説「白夜行」です。


原作小説だけでなく映画もドラマも非常に面白いです。

(以下、ネタバレがあります)

主人公は、小学五年生の男の子と、女の子。

男の子は、女の子を助けるため自分の父親を殺害します。

女の子も、男の子をかばうために自分の母親を殺します。

事件を起こしたのが小学生だと、警察は誰も気づきません

一人の刑事だけが、二人の怪しさに気づきます。

二人は自分たちが友達だということを隠し、互いに何事も

なく生活して時効まで逃げ切ろうと約束します。

この小説は19年の逃亡生活の話(ドラマは14年)です。



2006年放送されたドラマ版では、罪を犯し殺人罪の時効まで

逃げ切ろうとする少女と少年側の視点で描かれています。

特に少年の独白で進んでいきます。

少年は捜査する刑事から逃げながら、

誰にも気づかれないように生活します。

女の子に疑いが向かないように無関係の人に暴力を振るい、

利用したり、いのちをうばったりします。

初恋相手に頼まれれば少女の二番目の母も手にかけます。


少年は自分の過去を誰にも話せず、嘘を重ねていきます。

何人もの人のいのちを奪います。

誰も信用しないで生きています。

ある日、気を許した相手にふと「小説の話」として自分の

話をする面があります。


「いま書こうとしている小説の主人公は、何をしても気づかれない男の話。子どもの頃に万引きをして、誰にも気づかれなかった。見つからないから自分は賢いとおもうようになる。自分の悪事は誰にも気づかれない、自分は賢いのだと調子に乗って罪を犯し続けていく。ひとのいのちも奪う。だが、自分は幽霊だから誰にも気づいてもらえないと悟る。好きな女性できたのに、気づかれない。好きな女性のために贈り物をしても助けても気づかれない。たった一人、男の存在に気づいた人がいる。幽霊は、その気づいた男を殺すんだよ」と。


その話を聞いた相手は、

「幽霊は気づいた男を殺さないと思う」

「気づいてもらえたら、涙が出るほど嬉しいじゃない?」

と話します。彼はピンと来ていませんでした。

しかし、ふとしたことから、少年は刑事の捜査ノートを見つ

けます。1991年から2005年まで少年が重ね続けた犯罪行為、

偽装した自分の死亡届、一見すると接点が見えないような事

件記事、「裏が取れず」としつつも少年の被害にあった人た

ちからの聞き取り記録、少年の母親の死亡時の状況、母親の

遺書などがびっしり書かれていました。少年は、ノートを握

りしめながら涙を流します。


「あいつ(刑事)が作ったノートは、俺たちの道のり。

その足で追いかけ、その手で書き記し、どれだけの時、

あいつはその目で俺たちを見つめ続けたんだろう。

そのノートは、あいつの血と肉で出来ていた」

と回想し、号泣します。


神様が自分の全てを知り、人生の歩みを見守っている。

そのことが嬉しい。

誰にも理解してもらえないと思っていた時、

自分のことを調べ知っている存在がいることが嬉しい。

そんな感覚が少しわかったように思いました。

神様は、わたしたちが生まれる前からご存じです。

神様は超能力で人間を監視しているのではありません。

機械的に、監視カメラのように見つめてはいません。


涙が出るほどうれしいと感じた、『白夜行』の主人公の

言葉をあてはめるのなら、神様はわたしことを追いかけ、

わたしの道のりを追いかけ、神様自らの手で書き記し、

神様の目で見つめ続けた。


詩編の作者も闇のような経験をしています(139:10~11)


苦しみ、悲しみ、悩みがあったけれども、闇の中でも、

神様はそこにいて、自分を見ていてくださる。

誰にも見せられないような闇の体験、理解されない苦しみ

その場所にも神様はみ言葉の光を照らしてくださいます。

物事が人間の思い通りになるという意味ではありません。

闇の中座り込んでいても、神様がそばにいることで、

また違った視点を得ることができる。自分のもっと深い

思いがしだいに見えてくることがあります。

(詩編にはたびたび、最初と最後で感情が変化します)


新しく与えられた一週間、ぜひ詩編139編の言葉を使って

祈ってみてください。

「前からも後ろからも、わたしを囲む神様」といわれて

どんな光景を考えるでしょうか。

祈りながら想像してください。


自分の思いを表現できる言葉を見つけることができない。

「言葉にしても仕方がない」と感じる時もあります。

しかし、詩編の言葉を祈ることで、自分の思いを祈りに

のせることができます。

「神様が、前からも後ろからも待ってくださっている」

という言葉のイメージを持つことができますように、。


★今週から受難節。神様とどのように向き合うことが

 できるか、イースターまでの期間、考えていくことが

 できますように。



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日本キリスト教団はりま平安教会
牧師 松本あずさ

〒675-0038
兵庫県加古川市加古川町木村112-2
電 話:079-426-8863(FAX兼用)
メール:harimaheianchurch(あっとまーく)yahoo.co.jp

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2024年2月17日土曜日

【つぶやき】礼拝警察だった私

皆さんこんにちは。

(教会メンバーが送ってくれた写真。教会ブログにつかってもいいですか?と聞いたら快諾してくださいました♪)

【牧師が日常で考えた、聖書やキリスト教の話です】

「自粛警察、マスク警察」という言葉を聞き、思い出した話。

マスク警察とは、未知の感染症に対する恐怖を背景に、マスクを着けていない人を激しく攻撃する、夜に営業しているお店に嫌がらせをする、他県ナンバーの自動車を見つけたら攻撃する、旅行に行ったと聞いたら攻撃する人たちを指します。

「自分はマスクを着けて我慢しているのだから、わたしたちと違う行動をする人はずるい、許せない、みんな従っているのに。全体のために人と違う行動をする人は迷惑だ、間違っている、だから攻撃していいんだ」という発想です。

 

「そういう考え方はおかしい、ひきょうだし正義でも何でもない、差別じゃない」と自粛警察のニュースをみて思っていました。しかし、「マスク警察/自粛警察」という言葉から、わたしは自分の高校時代の姿を思い出しました。わたしは高校生の時、「礼拝警察」でした。


わたしはキリスト教主義の高校に通っていました。毎日礼拝の時間がありました。まじめに礼拝に参加する人ばかりではありませんでした。小テストの単語帳をめくっている人がいる。コソコソおしゃべりをしている人がいる。先生が回ってくる時だけさっと隠す。礼拝を何だと思っているんだと、わたしは怒っていました。

「AさんとBさんが不真面目に礼拝を受けています」と毎回先生に報告をしていました。注意してくださいと。わたしは礼拝に集中せず、違うことをしている人をさがしていました。礼拝警察だったのです。


毎朝そんな感じだったからかもしれません、ある時、わたしは放送部に入らないかと誘われました。放送部は礼拝中放送室にいます。体育館での礼拝でも放送機材の前に座り、放送機材を触っています。1年生の後半から、わたしはクラスメイトと一緒に礼拝に参加することは無くなりました。卒業礼拝の練習の時も当日以外、機材の前にいました。でも、わたしは不真面目な人が視界に入らなくて良かった、これでいいと思っていました。


神学部で学び、多くの教会に通うようになって、わたし以外の礼拝警察に出会うこともありました。「礼拝堂では飲食禁止、水やお茶だって飲んではダメ」という教会に通っていた時、毎月のように高齢の信徒の方が礼拝中に倒れ、救急車を呼んでいました。「礼拝堂でお茶を飲んでください。熱中症になります」と呼びかけ続け、でも「皆が見ている。礼拝堂でお茶を飲めない」と断られ、もどかしく思っていました。


なので、高校生のころに比べると礼拝警察にはなっていないと思うのですが、それでも「礼拝中はこうしなければいけないのに」という思いが完全に消えたとはっきり断言できない自分が恥ずかしいです。

そんな中で起こった、今回の感染症です。はりま平安教会は2020年5月からしばらく牧師一人で礼拝堂に座り、礼拝をしていました。ソーシャルディスタンス、サン蜜になるからと説明して、それぞれの家庭で礼拝をしてくださいと呼びかけていました。


誰もいない礼拝堂で、一人で礼拝し、録音を配信していました。

オンラインでつながっていると思っても、孤独でした。

礼拝中ねむっているひとがいてもいいじゃない、

腰が痛くなったり、何らかの理由で立ち歩く人がいてもいいじゃない、

赤ちゃんが泣いても、

トイレに行く人がいてもいいじゃない、

礼拝中に出ていた様々な音が懐かしい。

「こういう人はダメ」「ああいう人はダメ」なんていって、人を礼拝に来ないようにして、「感染の危険のない、クリーンな礼拝(マスク警察や自粛警察に目をつけられない教会)」を目指した結果、たった一人牧師が礼拝するようになる。

人を来ないようにして、牧師がたった一人で礼拝して、これが信仰共同体なのか?と、考える時間を過ごしました。

寂しさを感じていました。


・・・


教会に人が集うことができるようになり、詩編133編の聖句「見よ兄弟が共に座っている/私も共に座っている/共に座ることの恵みは何と素晴らしい」を実感しました。


「共に座る兄弟」とは自分の家族やお気に入りの友人だけではありません。エルサレム神殿で礼拝するため各地方から集まった人々を指します。見知らぬ人たちと出会い、神殿を目指して共に旅をし、神様を礼拝するために心を一つにしている。

多様な背景を持つ人たちが、それぞれの個性を持ちより、一緒に過ごすことができる。語り合いながら、大切な兄弟として接している。作者は、神様から注がれたこの恵みは、良い油がしたたり頭の上から服の裾まで流れるように遠くまで周囲に広がっていくと歌います。


礼拝で「今日も礼拝に集えて感謝します」と祈る時、礼拝警察だった自分、一人で礼拝していた自分を思い出します。

新型コロナウイルスが落ち着いた時代になっても、礼拝に集えることの感謝を忘れることがありませんように。


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日本キリスト教団はりま平安教会
牧師 松本あずさ

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2024年2月14日水曜日

レントカレンダー

 みなさんこんにちは。

2024年は2月14日(水)から受難節、レントに入ります。

イースターをお祝いする前に、イエス様が苦しみを受け、

十字架につけられ、葬られた出来事を想起し過ごします


去年、今年と、灰の水曜日集会後にレントカレンダー

配布しています(こちらの個人ブログで無料配布中

アドベントカレンダーの、イースターカウントダウン版。

イースターまでの40日間を有意義に過ごすためのアイディアです。「どんなことをすればいいの?」という人には、

①神様と向き合う時間を作る ②何かを我慢する ③他者に仕える、という視点で考えてみてください。以前、子どもの教会向けの本か、どこかの教会のホームページで読んだのですが…出典が分からずすみません。「そうなのか!」と喜んで数年前の礼拝メッセージで紹介して、出所がわからなくなっています…なので、わたしが教会で紹介していることを書きます。


①神様を向き合う時間を作る

 普段のお祈りを少し意識したものにしてみませんか?

②何かを我慢する

 イエス様の受難と苦しみに近づくために、自分の大切な物を我慢しませんか?(スマホとか、テレビゲームとか、お菓子とか…)なにかを我慢して生まれた時間とお金は、別の大切なことのために使ってみましょう。

③他者のために仕える

 イエス様は最後の晩、弟子たちに「互いに愛し合いなさい(他者の存在を受け入れ合い大切にしなさい)」と言われました。その言葉に応答するために、何ができるか考えませんか?

みなさんは、どんなことを考えましたか?

わたしも家で連れ合いと話して色々と考えました。

わたしのレントカレンダーは…

①一人外食禁止(食べたつもり貯金してイースター献金へ)

②毎日掃除する(わたしにとっては、大きな犠牲…汗

③一日一回、ディボーション内容を発信する

です。

ちなみに、連れ合いは……

①一人外食禁止(食べたつもり貯金は募金へ)

②コンビニで買い食い禁止(食べたつもり貯金は募金へ)

②揚げ物を食べない(※仕事での会食は除く)

だそうです。

イースターまでの40日間、有意義に過ごすことができますように。


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