【牧師が日常で考えた、聖書やキリスト教の話です】
「美少女戦士セーラームーン」の話をします。
約10年前のテレビドラマのワンシーンで「幼稚園の時に
女の子たちと『セーラームーンごっこ』をすると私は
主人公のセーラームーン役なんか絶対選べなかった。
最後に余った、緑色がテーマカラーのセーラージュピター
役しかできなかった」というセリフがありました。大人に
なった今も、セーラームーン役を一番に選んでいたような
自信にあふれた女子に勝てない。自分は緑色しか選べない
人間、社会の脇役でしかない、という趣旨のことを話して
いました。
このテレビドラマはセーラームーン世代の視聴者が多かった
ようで「気持ち、わかる!」とか「セーラージュピター
は私の周りでは人気キャラだった」とか「女の子同士で、
誰が●●役にふさわしいか配役を考えていたから自分から
立候補する子は自信家しかいなかった」などドラマの感想
とともにセーラームーンの思い出話がいくつもSNSに書き
込まれていました。
ちなみに、私の感想は「けっ、甘いわ!」です(^^♪
セーラージュピター役ができるなんて、最高じゃない!
セーラー戦士たちと一緒に戦えるんでしょ?自分だけの、
必殺技があるんでしょ?可愛く変身できるんでしょ?
羨ましいわ!
と、テレビに向かって毒づいていました((+_+))
わたしはセーラームーンごっこで「大阪なる」ちゃん役
でした。主人公と同じ中学校に通う同級生です。彼女は
セーラー戦士ではないので、変身もしないし戦いません
セーラームーンごっこが日常編なら仲間に入れてもらえ
ますが、「敵が出たわ!」と、ルナやアルテミス役の子
(主人公たちをサポートする猫です)が叫ぶと、みんなは
変身して別の場所に走っていき、「大阪なる」ちゃんは、
その場で待っているしかありませんでした。
後から登場した「ちびうさ」という役の子と一緒に、
日常パートを演じながら、どこかで戦っているであろう
セーラー戦士役の子たちを待っていました。「ちびうさ」
も実はセーラー戦士に変身できるという設定がアニメで
放送されると、ちびうさ役の子もセーラー戦士たちと敵
をたおしにいくので、わたしは一人で「大阪なるちゃん」
役をこなし、みんなが敵を倒して戻ってきた時すぐに日常
生活をすごせるように校庭の場所を確保していました。
敵との戦いが白熱しているのか、なかなか戻らない時は、
大阪なるちゃん役を継続しながら、一人「魔法陣グルグル」
ごっこをしていました(同時期に放送したアニメです。
ヒロインの女の子が持っている魔法の杖に見立てて長い木
の棒をもってウロウロし地面に魔法陣を書いていました)
わたしは、ひねくれた性格なので「セーラームーンと
一緒にたたかえた、セーラージュピター役をしていた
くせに、『私は社会の脇役……』なんて甘いわ!こっち
からしたら、セーラージュピター羨ましくて、欲しくて
たまらなかったわ!」とツッコミたくなります。
・・・・
なんでこんなことを長々書いたかと言うと「聖書の脇役」
という言葉や、そんなタイトルのキリスト教書籍を目に
して、あのころと同じ気持ちになったからです。
「私はセーラージュピター役『しか』できない脇役…」
みたいに「聖書の脇役にスポットを当てましょう♪」と
言いながら登場する人物は、超有名人です。
「クリスマス場面に登場する羊飼い」とか、
「エウティコ(パウロに直接癒してもらった人物)」、
「ヨナ(旧約聖書・ヨナ書の主人公)」とか、
「エゼキエル(旧約聖書に登場する大預言者)」とか、
「アリマタヤのヨセフ(イエス様を埋葬した人物)」、
「エリサベト(洗礼者ヨハネの母)」など……。
いや、まっっっつたく脇役ではありませんから!!
礼拝の聖書朗読でも話がでてくる人たちですから!!
聖書にエピソードトークがのっている人たちですから!
この人たちが脇役なんて言われたら、「けっ甘いわ!」
って怒るだろう聖書の人物なんかいくらでもいますよ!
と、ツッコミたくなります。
聖書に数行だけ出てくる人間なんていくらでもいます。
聖書で最も名前が可愛いと思う、「ラブ・シャケ」。
彼は列王記下とイザヤ書に名前が出てきます。
「モーテン(盲点)のトラさん」と密かに読んでいる、
トラという名前の士師。
「大人のトイ・ストーリー」と題して学生時代に神学部
のチャペル・アワーとりあげようとして、話題が少なく
苦戦したハマトの王トイ(サムエル記下に2節だけ登場)。
度重なる戦争や疫病の影響でいのちをおとした人たち。
(「疫病で7万人がたおれた」歴代誌上21:14など)。
バビロン捕囚で連行された/帰還した名前のない人々。
ルツ記に登場する、ルツのご近所さんたちも良い仕事を
しています。ルツは神様だけに守られ支えられていた
わけじゃないよな、思いのある人たちが常にそばにいて
助けているな―ということにも気づきます。
礼拝説教で使えない??いえいえ、むしろ、深く探ろう
としたら聖書を更に学ぶことができるはず。
わたしはアブラハムにも、モーセ、ダビデにも憧れません。
そんな人間になれるとも、なりたいとも思えないからです
でも、アブラハムの子を妊娠させられた上に女主人からの
マハタラで苦しみ逃亡したハガルと神様のやり取りには
慰められる思いがします。
モーセとともにエジプトを脱出した60万人以上の群衆の
行動の方が「気持ちわかるなぁ」と思うことも多いです。
いま礼拝で「ダビデの妻たちの視点から見る戦争のプロ・
ダビデ王」というテーマで聖書を読んでいます。小さい
時から絵本で読んで育ってきた聖書の話が、新鮮に問題
意識をもって受け止めることができています。
もちろん、イエス様や神様の言葉を人々に伝えた預言者
たち有名人が嫌なわけではありません。「脇役」と表現
するなら、もう少し隅っこの方まで見てほしいなーと、
気づいてほしくて手を振っているような感覚です。
そのうち、こっそりブログで紹介できればいいなーと
思います。
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日本キリスト教団はりま平安教会牧師 松本あずさ
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メール:harimaheianchurch1982(アットマーク)bb.banban.jp
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