集会案内

【日曜日】
日曜日の礼拝 毎週 午前10時20分~11時30分
子どもの教会  毎週 午前10時20分~11時30分

● 同時刻に子どもの教会があります。
● 小さなお子様をお連れの方も、お気軽にご参加ください。
● 礼拝後お茶の会があります。お時間のある方はどうぞ。

【水曜日】
聖書と祈りの会 毎週 午前10時~11時30分
晩の祈りの会  第1 午後 7時30分~9時

【金曜日】牧師面談日 毎週金曜日 午後(希望時間を事前にご連絡ください)

2024年2月17日土曜日

【つぶやき】礼拝警察だった私

皆さんこんにちは。

(教会メンバーが送ってくれた写真。教会ブログにつかってもいいですか?と聞いたら快諾してくださいました♪)

【牧師が日常で考えた、聖書やキリスト教の話です】

「自粛警察、マスク警察」という言葉を聞き、思い出した話。

マスク警察とは、未知の感染症に対する恐怖を背景に、マスクを着けていない人を激しく攻撃する、夜に営業しているお店に嫌がらせをする、他県ナンバーの自動車を見つけたら攻撃する、旅行に行ったと聞いたら攻撃する人たちを指します。

「自分はマスクを着けて我慢しているのだから、わたしたちと違う行動をする人はずるい、許せない、みんな従っているのに。全体のために人と違う行動をする人は迷惑だ、間違っている、だから攻撃していいんだ」という発想です。

 

「そういう考え方はおかしい、ひきょうだし正義でも何でもない、差別じゃない」と自粛警察のニュースをみて思っていました。しかし、「マスク警察/自粛警察」という言葉から、わたしは自分の高校時代の姿を思い出しました。わたしは高校生の時、「礼拝警察」でした。


わたしはキリスト教主義の高校に通っていました。毎日礼拝の時間がありました。まじめに礼拝に参加する人ばかりではありませんでした。小テストの単語帳をめくっている人がいる。コソコソおしゃべりをしている人がいる。先生が回ってくる時だけさっと隠す。礼拝を何だと思っているんだと、わたしは怒っていました。

「AさんとBさんが不真面目に礼拝を受けています」と毎回先生に報告をしていました。注意してくださいと。わたしは礼拝に集中せず、違うことをしている人をさがしていました。礼拝警察だったのです。


毎朝そんな感じだったからかもしれません、ある時、わたしは放送部に入らないかと誘われました。放送部は礼拝中放送室にいます。体育館での礼拝でも放送機材の前に座り、放送機材を触っています。1年生の後半から、わたしはクラスメイトと一緒に礼拝に参加することは無くなりました。卒業礼拝の練習の時も当日以外、機材の前にいました。でも、わたしは不真面目な人が視界に入らなくて良かった、これでいいと思っていました。


神学部で学び、多くの教会に通うようになって、わたし以外の礼拝警察に出会うこともありました。「礼拝堂では飲食禁止、水やお茶だって飲んではダメ」という教会に通っていた時、毎月のように高齢の信徒の方が礼拝中に倒れ、救急車を呼んでいました。「礼拝堂でお茶を飲んでください。熱中症になります」と呼びかけ続け、でも「皆が見ている。礼拝堂でお茶を飲めない」と断られ、もどかしく思っていました。


なので、高校生のころに比べると礼拝警察にはなっていないと思うのですが、それでも「礼拝中はこうしなければいけないのに」という思いが完全に消えたとはっきり断言できない自分が恥ずかしいです。

そんな中で起こった、今回の感染症です。はりま平安教会は2020年5月からしばらく牧師一人で礼拝堂に座り、礼拝をしていました。ソーシャルディスタンス、サン蜜になるからと説明して、それぞれの家庭で礼拝をしてくださいと呼びかけていました。


誰もいない礼拝堂で、一人で礼拝し、録音を配信していました。

オンラインでつながっていると思っても、孤独でした。

礼拝中ねむっているひとがいてもいいじゃない、

腰が痛くなったり、何らかの理由で立ち歩く人がいてもいいじゃない、

赤ちゃんが泣いても、

トイレに行く人がいてもいいじゃない、

礼拝中に出ていた様々な音が懐かしい。

「こういう人はダメ」「ああいう人はダメ」なんていって、人を礼拝に来ないようにして、「感染の危険のない、クリーンな礼拝(マスク警察や自粛警察に目をつけられない教会)」を目指した結果、たった一人牧師が礼拝するようになる。

人を来ないようにして、牧師がたった一人で礼拝して、これが信仰共同体なのか?と、考える時間を過ごしました。

寂しさを感じていました。


・・・


教会に人が集うことができるようになり、詩編133編の聖句「見よ兄弟が共に座っている/私も共に座っている/共に座ることの恵みは何と素晴らしい」を実感しました。


「共に座る兄弟」とは自分の家族やお気に入りの友人だけではありません。エルサレム神殿で礼拝するため各地方から集まった人々を指します。見知らぬ人たちと出会い、神殿を目指して共に旅をし、神様を礼拝するために心を一つにしている。

多様な背景を持つ人たちが、それぞれの個性を持ちより、一緒に過ごすことができる。語り合いながら、大切な兄弟として接している。作者は、神様から注がれたこの恵みは、良い油がしたたり頭の上から服の裾まで流れるように遠くまで周囲に広がっていくと歌います。


礼拝で「今日も礼拝に集えて感謝します」と祈る時、礼拝警察だった自分、一人で礼拝していた自分を思い出します。

新型コロナウイルスが落ち着いた時代になっても、礼拝に集えることの感謝を忘れることがありませんように。


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日本キリスト教団はりま平安教会
牧師 松本あずさ

〒675-0038
兵庫県加古川市加古川町木村112-2
電 話:079-426-8863(FAX兼用)
メール:harimaheianchurch(あっとまーく)yahoo.co.jp

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